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御由緒

ご由緒について

那須余一奉納の鳥居。階段上に本殿があります。
上代より温泉名を冠せし神社は、延喜式神名帳(西暦900年代)に十社を数え、当温泉神社の霊験は国内に名高く,奈良朝時代の貴族の温泉浴のことは正倉院文書によりても明らかである。従って神位次第に高まり,貞観11年(869年)に従四位上を授けられた。後世那須余一(与一)宗隆西海に扇の的を射るに当たり,当温泉神社を祈願し名声を轟かして、那須郡の総領となるや領民こぞって温泉神社を勧請し奉り、貞享3年(1686)6月19日正一位に叙せられた。
現在那須郡内に約八十社の温泉神社を数うるのをみればいかにこの地方の信仰を集めていたかが推察される。

ご祭神について

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御祭神 大己貴命(おおなむちのみこと)
    少彦名命(すくなひこなのみこと)
    誉田別命(ほんだわけのみこと)
    
 商売繁昌、家内安全、病気平癒、身体健全、縁結びの御利益があります。
また、那須与一も祈願したところから必勝祈願の御利益があります

那須の余一と温泉神社の関わり

那須余一について

那須余一(与一)は那須地方の豪族である那須太郎資隆の十一男として生れました。十一番、十あまり一で余一と命名されました。(後に与一に改名)
源義経の東国参陣の時これに従い、以後義経の騎下となって源平戦を戦いました。
有名な屋島の戦いで扇の的を射て名声を上げ20万石を頼朝公から賜わりました。
温泉神社と余一との深いつながりを表すものとして「平家物語」にはこのように記載されています。
『南無八幡大菩薩、別しては吾が国の神明、日光権現宇都宮、那須温泉大明神、願わくはあの扇の真中射させてたばえ給え・・・』と、
凱旋の後その神恩の深いことを謝して、大社殿を寄進してその誠を表わしました。その他鏑矢、蟇目矢、征矢、桧扇を奉納しました。三番目の鳥居も余一が奉納したものです。
余一は不幸にして24歳の短命で世を去りましたが、那須氏は代々厚く温泉神社を崇敬して慶長年間に至りました。

大東亜戦争終結那須温泉大火

 昭和二十年八月一日夜半から同二日朝にかけて、那須湯本温泉街が全焼するという大火災が発生染ました。

 当時は新潟県方面に爆撃に向かう米軍機が湯本上空を通過し空襲警報が発令中で住民は避難を始めているところでした。大火が起きた原因は、灯火管制下で使っていた照明用のローソクの消し忘れだとされています。

 湯本本町から出火し燃え広がった炎は瞬く間に近隣旅館や住宅などを飲み込み大町から旭町、見晴町の一部を焼き尽くし、一夜にして八十五戸、百十五世帯が焼き出され被災者が二百六十八人にのぼる大火となりました。

 戦後の物資不足の中、建物の再建と水道施設の復旧、道路の都市計画決定など官民一体となって復興をはたしました。

大火の恐ろしさを再認識し、苦難を乗り越えて現在の繁栄の感謝を捧げ、後世に那須温泉大火の事実を伝えるため茲に那須湯本温泉街の大火前後の記録写真を収めました。

 

 

昭和3年頃
昭和20年頃

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那須温泉神社
〒325-0301
栃木県那須郡那須町大字湯本182
TEL:0287-76-2306
FAX:0287-76-2411

 
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